脳梁形成不全(トリオ遺伝子異常併発)

皆さんは脳梁形成不全

という病気をご存知ですか?

今回はekuboをご利用されている理恵さんに【自分の子が脳梁形成不全(トリオ遺伝子異常併発)だと判明した時】から【現在】までに起こった心境の変化や想いを聞いて来ました。その内容を本記事を通してお伝えします。

目次

きょうまくんの病気がわかったきっかけはなんでしたか?

まず、きょうまは生まれてくるのに4日かかったんです。最終的にお腹を上から押して押されまくって、吸引をかけまくって出てきました。

とにかく4日も頑張り続けて、私も起きているのか寝ているのか…。意識がもうろうとしていて。

テレビやなんかでよくある、キラキラした、白い光に包まれて、オンギャーという泣き声とともに『お母さんとご対面!生まれてきてくれてありがとう!感動!』みたいなのは微塵もなくて「やっと、やっと…出てきてくれた…。」そんな感じでした。

周りもバタバタしていましたね。きょうまはSpO2もなかなか上がらなかったりで、すぐNICU管理になりました。3400gあったんですけど。

産後、きょうまについた病名というか、症状名は【低酸素・肺高血圧症・低血糖・停留精巣】でした。

それから4日後にやっときょうまを抱っこできたんです。看護師さんにミルクを飲ませてもらっている姿を見て「私が居なくても、育ってるぅ( ;∀;)」なんてベソかきながらご対面だったのを覚えています。

きょうまは光線療法等もしていたし、私のほうが先に退院しました。搾乳して持っていったりしていましたね。

退院後、停留精巣の治療方針を決める件があったので、お腹のMRIを撮影することになったんです。そのときに「撮影時は寝かせるから、出産時低酸素の件もあったし頭の方も一緒に撮影しておきましょう。」となったんです。

その時に脳梁が小さいことを指摘されました。

ただ「これくらい脳梁が小さい子はほかにもたくさんいるから」と説明を受けたので、さほど気にしてはいなかったんです。まさかリハビリが必要になるなんてこの時は思っても見なかったです。

ただ…。首が座るべき時期に座らなかったんです。

「なんか、違うかもしれない。」友人たちのインスタを見ていて思いました。「うちの子、なんか、遅いよね?」と。

それを周囲に相談したこともあったんですが「発達がゆっくりな子もいてるし、大丈夫だよ」ってみんな励ましてくれたんです。だから私もそう思っていました。

出産した病院でずっとフォローは受けていたんですが「発達の遅れと脳梁が小さいから気になる」ということで京大病院に紹介され、言われるがまま京大を受診しました。

そしたら、そこできょうまと、同じような子たちを見ました。

きょうまはその頃、向き癖で右しか向かなくて顔も変形していた。うつ伏せにしても、首も立たなかった。

そして京大病院でハッキリ「脳梁形成不全」だといわれました。

「この時期に座れていなかったら、もう歩けません」と宣告されました。

きょうまが10ヶ月の時でした。確かにショックでした。でも「やっぱり、そうだったんだ、きょうまは違ったんや」と変な話、ホッとしたんです。病名がわかってホッとしたんです。

ショックな感情よりも、今までのモヤモヤが解決されてホッとした気持ちのほうが大きかった。病名を知った元夫の方が現実に目を背けていました。むしろ、元夫や周りが落ち込み過ぎて、私が前向きに周囲をずっと、ずっと励ましていました。

「大丈夫やって!そんなん、まだわからんやん、歩けるかもしれんやん!」って。

だから落ち込んでる暇はなかったんですね。

それからどうでしたか?

ただ、離婚して地元に帰って来て、少し落ち着いた頃にどん底に落ちました。

気持ちが真っ黒になりました。

私はきょうまから「お母さん」と呼ばれることはないの?

普通の学校を見ては「きょうまはここを経由しない人生なの?」同世代のお母さんたちを見るのも本当に辛かった。事あるごとに未来に絶望してたな。

葛藤はありましたか?

1歳頃までは健常の子と思って子育てしていたのでとにかく周りと比べる毎日でした。ネットで月齢を調べては「あれもできない。これもできない。」と心配になり、街で赤ちゃんを見つけては「息子とはやっぱり違う。」と不安になってばかりでした。

リハビリを始めても、チェック項目を提示されて【息子ができないことを改めて突きつけられている気分】でした。
「何もできないので全部バツつけてて下さい!」なんて言い放ったこともありました。笑

2歳を過ぎた頃には同じ年齢の子どもと比べることすら出来ないくらい差は歴然でした。その頃から「もう2歳なのにあれができない。これができない。」という焦りよりも「何年掛かったとして、いつか本当に色々なことができるようになるのかな?」という不安に変わっていきました。

大丈夫と自分自身に言い聞かせるために、ほんの小さなことも記録してInstagramを使って周りに自慢することを始めました。

うちの子すごいでしょ!こんな表情するんだよ!変な音が好きでこんなに笑うんだよ!芝生が嫌で泣くんだよ笑!
完全に親バカ自己満投稿なんですがこれが私には合っていました。「こんなことしかできない。」が「こんなこともできる。」とネガティブをポジティブに変えてくれました。

でも4歳になった今もまだまだ不安定になることはあります。なんで叫んでるの?なんで泣いてるの?全然分からん。母親なのに…。つい最近もそう思いました。それでも小さな自慢を続けるために私の矢印はこれからも息子へ向き続けると思います。

真っ黒な気持ちで『なぜ自分の子が?』と思う一方で「私にしかこのことは受け入れられない、私だから受け入れられる。」そんな自信があったんです。

とはいえ、きょうだい児がいる他のご家庭がうらやましかったり。

普通のお母さんができていていいな…。

次の子が産めるの羨ましいな。私は4日もかかってやっと生まれたと思ったら障がいもあって。もう妊娠も出産もトラウマになるほど怖い。

だから、次の子を産めるっていいな。そんなふうに思っていました。離婚のときも誰にも話さず自分で決めました。私はもともと人に話せない、話さないタイプだったんです。「どう思われるか?」を気にしてしまうし、相手にも気を遣わせたくないから。

でも、きょうまのことがあって、徐々に療育園に通うお母さんたちや、それ以外の人にも自分のことを少しずつ話せるようになったんです。友達がね「障がい児と思って接していないよ。理恵の子と思って接している。だからなんにも気を遣っていない。」

「理恵はきょうまくんにとって十分にお母さん。ちゃんとお母さんやってるじゃない。」

「子供が居ない私たちには羨ましいんだよ。」

そうやって言ってくれたり、人から教えてもらって「ネガティブな自分から引き戻してもらえているんだ。」と気づかされました。

だから、仲間にも、仲間以外にも【話すことの大切さ】を知ったんです。「障がいがあるから気を遣わせるんじゃないか?」と遠慮していたのは自分でした。話すことで、そうやって自分が気付かせてもらえたんです。

それからどんな風に心境は変化していきましたか?

遺伝子検査もやったんです。トリオ遺伝子異常と言われました。その時にも運動発達遅延、知的障害、経口摂取不良など、きょうまに当てはまることを他にも沢山言われました。遺伝子異常も関係していたんだなと、でもその時は結果を見て落ち込むというよりは、その時のきょうまのまんまだったから、答え合わせをしているような結果でした。

未来に何も期待できなくて絶望していた時期もあったけど、目の前のことが全てだと受け止められるようになりました。メジャーな病気じゃないから見通しもつきにくかった。でも、わかりにくい病気だからこそ考えても意味ないよねと思うんです。

そりゃあ、不安はあります。一日中不安なことを話せると思います。けれど、そんな不安なこと挙げだしたらキリがない。

そんなことよりも『できないからしないのではなく、できないと決めつけて諦めるのではなく、色んなことにチャレンジさせたいんです。』

でも、最近では「チョウダイ」って手を出すことができるようになったんですよ。この前は、4歳になって初めてずり這いで一歩進めるようになったんですよ。

たとえば、療育でも『あいうえお』とか教えたり、周りから見たらたら「そんなのやって意味あるの?」って思われるようなこともしています。

だから、あの頃に絶望していた私に教えてあげたいです。「こんなこと、できるようになってるよ!」って。4年かかってできることが少しづつ増えてきた今、一番子育てが楽しいです。

しんどかった頃の自分に掛けてあげたい言葉はありますか?

いまだにね、1人目じゃなかったら、もっと早くに気が付けたのかな、そしたらもっと早くにリハビリにも取り掛かれたかもしれない。きょうまがあんなにずっと泣く子だったのは、もしかしたら、何か嫌な音とかがあったのかもしれないな。

とか、色々反省することもあるんです。

でも、あの時はあのときで正解だったんです。だって私にできる限りの最大限のベストを尽くしていたから。だから、かけてあげたい言葉は

「それでいいよ」

です。それでよかったんだと今も思います。

同じようなお母さんに掛けてあげたい言葉はありますか?

「良い人でいなくていいよ」です。

思うんですけどね、例えば健常児がなにか病気になったとしたら、みんな泣いてはやく病気が治って元の状態に戻れるようにと願って祈りますよね。

でも、障がい児に関しては、それは許されない。泣いてはいけない【この子の個性だから、この子はこの子だから】と受け止めなくてはならない。否定してはならない。プラス思考にならなければならない。この子の絶対的な味方でないといけない。

みたいな「こう思わなくてはならない」ってのありますよね?潜在的に。

でもね、障がいなんて、無いに越したことないと思うんですよ。歩けたほうが良い。いろいろ真っ黒な感情だってあって当たり前だと思うんですよ。

だからね「そんなふうに無理にその感情を押し殺さなくていいよ。」って思うんです。

他の障がい児を育てているお母さんたちのインスタをみても、みんなが偽善にみえることだってあったんです。

「こんな風に、素晴らしい考えになれない私はだめな人間だ。」ってまた落ち込んじゃうんですよ。だからね、もし自分を責めたり否定したりしているお母さんが居たら、「感情を無理に押し殺さなくていいよ、こんなふうに真っ黒な気持ちだってあったよ。」って教えてあげたいんです。

消防車を見る機会があったんですけどね、その時の隊員の方が「僕の娘も脳性麻痺で障がいがあってね、31歳なんです。この子がもし、健常児だったら?学生生活はどんなふうに送り、どんな恋愛をし、結婚をし、子供はいたのだろうか?なんて考えたり今でもするんですよ。」って話をしてくれたんです。とても、とても救われましたね。

やっぱり、31年育てていてもそう思うコトあるんだなって。別にそれは悪じゃない。そう思いましたね。

こんな風に寄り添ってくださる方の存在ってありがたくて、大きかったです。どんな気持ちにも寄り添える、受け止められる自信はあります。

お母さんたちの話を聞いてあげたい。話してほしいなと思います。

きょうまくんに掛けたい言葉はありますか?

これからも、自由に、マイペースであなたらしくいてね。

おかあさんも手伝うからね。自分の意思でやりたいこと、チャレンジしてね。

そうやってあなたの世界がどんどん広がればいいな。

私が今想像できている未来を超えてほしいな。

ううん、あなたなら超えると思うよ。

おかあさんより。


脳梁形成不全とは

脳梁形成不全症とは胎生期における何らかの原因により、脳梁が全くできなかったか、または後頭側の一部が欠損する奇形をいう。 またこの疾患は同時にさまざまな奇形を合併することが多く、この合併奇形によって神経学的異常所見や臨床症状が発現する。

J-Stageより

子育ては一人でするものではありません。
こどもはみんなで育てていくものです。

遅々として進まないこの状況、
世の中を変える一石を投じたい。
そのためには出来ないじゃなく
どうやったらできるのかで考える。

そんな思いを持ち
ekuboスタッフ一同は
今日も子どもたちに
溢れんばかりの沢山の愛情を注いでいます。

八方ふさがりになっていたり
独りで抱えていたり
迷っていらっしゃるママさんがもしいたら。
いつでもekuboにご連絡ください。

ekuboは
両手を広げてお待ちしております(^-^)

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この記事を書いた人

ekuboは重心児・医療的ケア児のための 児童発達支援・放課後等デイサービスです。 看護師が3名常駐しており 気管切開・呼吸器(酸素吸入) 経管栄養(胃ろう・腸ろう)などの 医療的ケアが必要なお子様(医ケア児)を 安心してお預けしていただけます。 また障がい当事者の 看護師が常駐しているため 『当事者だからこそ可能な 目線を合わせたケア』が可能です。 心も体もこれからの将来も。 少しでも力になりたいと思います。

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