ダウン症候群(21トリソミー)

皆さんはダウン症候群
(21トリソミー)
という病気をご存知ですか?

今回はekuboをご利用されている文恵さんに【自分の子がダウン症候群だと判明した時】から【現在】までに起こった心境の変化や想いを聞いて来ました。その内容を本記事を通してお伝えします。

目次

蒼五君が診断を受けたのはいつですか?

実は、高齢出産だったんですけど出生前診断などは受けず、また妊娠中も特段なにか指摘されることもなく、妊娠の経過をたどり、出産に至りました。

診断を受けたのは生後1-2ヶ月経ったときです。

そもそも、生まれた時に「あれ?なんか違う。」と感じたんです。特徴的な顔貌を見て「ダウン症かも…。」とすぐに思いました。想うや否や、不安でたまらず、入院中はとにかく検索しまくりでした。

「ダウン症だったらどうしよう。」

もしダウン症だったとしたら、自分はまた働けるのか?怖い。先が見えない。その気持ちが先に立ち【考えたのは自分の事ばっかりでした。】

どうなるのか?なるべく早く知りたかったんです。上の子達の事を考えて『赤ちゃんポスト』や『養子縁組』まで調べていた自分がいました。みんな同室だった他のママさんたち、授乳室で見かけるママさんたち。

自分以外のみんなが幸せそうに見えました。

そんな幸せそうな皆さんの中、私は毎日泣いていて、辛かった。そうごは哺乳もうまくできず、ずっとNICUの保育器に入っていましたね。へこんでいた上に、ミルクもなかなか追いつかなくて、NGチューブ(経鼻経管栄養チューブ)を入れることになったのもショックでした。

否定したり悲嘆したり、逃避したり、不安になったり…。簡単にはなかなか受け入れられなかったんですね。

はい…。今振り返れば、まさにあの時は危機モデルを辿っていましたね。(危機モデル:衝撃 → 現実認知 → 防御的退行 → 承認 → 適応など諸説あり。)

泣きながらね。【一体何の涙やねん?医療従事者の端くれのくせに。そんなことを思ったりする自分はダメなんじゃないのか。自分は悪なのではないか?】と葛藤しました。※文惠さんは看護師さんでいらっしゃいます

まさか自分がこうなるとは思ってもいなかったんです。向こうのご両親になんて言おうか。先々のことがわからない。見通しが立たない。

もう、とにかく家に帰りたい・・とにかく落ちましたね…。ただ、だからといってあの時は「じゃあどうしてもらいたかったのか?」は、わかりません。

退院してから、どうでしたか?

上の子(次男)が年子だったのもあって、とても手がかかりました。でも、それに救われていたようにも思います。蒼五は2歳までは、とにかく事あるごとに入院していました。ちょっとした風邪でも、気管支炎とか…。どうしても蒼五に手がかかってしまうから長男と次男に、申し訳ないとも思いました。とくに次男には寂しい想いをさせたんじゃないかと思います。

義理の両親には謝りましたね…。障がいをもって生んでしまったこと。

でもね。「かわいいやん!」って言ってくれたんです。

主人も「可愛いやん!」って言ってました。自分の両親も「可愛い。」と言ってくれて「高齢だから医療的ケアは怖いけれど、可能な範囲で手伝うよ!」と協力してもらえて…。【家族が受け入れてくれたことが本当に救いでした。】

完全に受け入れられたきっかけはありましたか?

2歳を過ぎたころ、蒼五が笑ってくれたときです!ほんまに可愛いと心から思った。通じ合えた気がしました。それまでは表情も乏しくて、恐いという気持ちのほうが勝っていて【正直可愛いと思えなかったんです。】

今はどうですか?

今はめちゃくちゃ大好きです。ほんとに可愛い。とってもピュアで。発達ゆっくりでも、自分なりに伝えてくれようとする。本当にピュアな存在です。

他人からの見られ方を気にしたこともありました。可哀想ってなんなの?と思ったこともありました。でも最近はね。「ダウン症ですか?」と聞かれたりするほうが嬉しいんですよ!

コミュニケーションや人とのつながりが生まれるでしょう?そして、蒼五のことを知ってもらえて、とても嬉しいんです。見つけてくれてありがとうってゆうキーホルダーもつけてたんですよ!

蒼五を育ててまだ4年ですが、今思えば『あの時の涙は何やったんやろう?』と感じています。

生まれたときは先が見えなさすぎて怖かったけれど、何とかなるんだな。ということを実感しています。

ただ健康で生まれてくることは当たり前のようで、当たり前じゃなくて。けど、その当たり前が一番むずかしいことなんだなと。蒼五を育てていて解ったことです。

あの頃の文惠さんと同じような境遇のお母さんにかけてあげたい言葉はありますか?

蒼五が産まれてから、今までの自分の人生でこんなに泣いたことはないってほど、毎日泣いていました。『ダウン症は病気じゃなくて、個性。』『ダウン症の子は天使の生まれ変わり。』などなど。「そんなんきれいごとやん!他人事やから言えるんやろ!」って思う程、心は荒んでました。

ダウン症の子を育ててまだ4年目で、これからも困難が立ちはだかるとは思います。でも、でも!これだけは言えます。

大抵のことは【国や自治体からサポートを受けることができて孤立することはありません。】産まれてすぐは難しいかもしれませんが、自分も社会復帰できてます。

読み書きや計算など、まだ4歳なのでできるかどうか、まだ分かりませんが、コミュニケーションをとれる日が来ます!そして何より

絶対に可愛いと思える日が来ます。

親バカかもしれませんが、今は本当に天使だと思っています。発達はゆっくりで、心配事も尽きないですが、お母さんが楽しくして笑顔でいれば、絶対子どもに伝わります。これはどんな子でも変わらないと思います。『一緒に!楽しく!』成長を見守りましょう!

旦那様から文惠さんとそうご君にメッセージをいただけますか?

今の文惠さんから、悩んでいた頃の文惠さんに掛けてあげたい言葉はありますか?

しんどいとは思う。でも大丈夫だよ。意外と周りのサポートはあるよ。今、こんなに楽しいよ。
こんなにもかわいいよ。色んな人と友達になれるよ。

蒼五も、あなたも。


21トリソミーのお子様の保護者様。
ekuboを通じて21トリソミーっこの会をつくってみていかれませんか?

ただekuboに集まるだけでもよし、お茶するだけでも良し。
Zoomでおしゃべりするだけでもよし。

繋ることに意味があると考えています。
まずはお気軽にご連絡ください(^-^)


ダウン症候群(21トリソミー)とは

ダウン症候群は、余分な21番染色体によって引き起こされる染色体異常症の一種で、知的障害と様々な身体的異常として発育の遅れ、精神発達の遅れ、特異的な頭部と顔貌、しばしば低身長がみられます。出生前の段階では、ダウン症候群は超音波検査や母親の血液検査の結果から疑われ、 絨毛採取や 羊水穿刺という検査で確定されます。出生後の診断としては、身体的な外見から疑われ、血液サンプルで余分な21番染色体が認められれば確定されます。ダウン症候群の小児の大半は、死亡することなく成人になります。

MSDマニュアル家庭版より

子育ては一人でするものではありません。
こどもはみんなで育てていくものです。

遅々として進まないこの状況、
世の中を変える一石を投じたい。
そのためには出来ないじゃなく
どうやったらできるのかで考える。

そんな思いを持ち
ekuboスタッフ一同は
今日も子どもたちに
溢れんばかりの沢山の愛情を注いでいます。

八方ふさがりになっていたり
独りで抱えていたり
迷っていらっしゃるママさんがもしいたら。
いつでもekuboにご連絡ください。

ekuboは
両手を広げてお待ちしております(^-^)

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